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加賀鳶(かがとび)
| 出初め式 | はしご登りその1 | はしご登りその2 |
毎年1月の初めの日曜日に金沢市内を流れる犀川河川敷で金沢市消防団の出初め式が行われます。この出初め式で披露されるはしご登りは加賀鳶と呼ばれる前田藩大名火消しのの流れをくみます。
加賀鳶は江戸の前田藩屋敷お抱えの火消しのことです。現在の東京大学本郷キャンパスにあった前田藩上屋敷には、自衛消防団として加賀鳶が組織されていました。加賀鳶の勇猛果敢な行動や可憐な装備など江戸の町民によく知られた存在で大名火消しといえば加賀鳶を指していました。8代将軍徳川吉宗の時代、江戸城下では、火付け盗賊が多く、火災が頻発していました。幕府の命により各藩屋敷で自衛消防団を組織することになりました。加賀藩ではすでにお抱えの火消しを持っていましたが、6代藩主前田吉徳はこの命を受けてお抱え火消しを更に充実させ、これが「加賀鳶」の始まりになります。
町火消しといえば、江戸の「いろは48組」が有名ですが、これは8代将軍徳川吉宗の時代に江戸南町奉行大岡忠相の命により1718(享保3)年組織されたものです。金沢城下では、3代藩主前田利常が金沢城下82箇所に火の見櫓を立てて火災の早期発見に努め、1661年加賀藩に定火消し制度が作られました。また、同じころ民間の町火消しも誕生しています。江戸の町火消しが誕生する60年も前に金沢では火消しが作られていました。
明治に入り、幕藩体制が崩壊しましたが、1870(明治2)年江戸藩邸の加賀鳶38人が金沢へ呼び寄せられました。そして、金沢の217名を加え三番制の制度が作られました。1872(明治4)年廃藩置県に伴って江戸から来た加賀鳶は東京へ帰りましたが、その加賀鳶の流れが今日の金沢の消防組織に受け継がれています。
加賀鳶はしご登り
毎年出初め式、百万石祭りなどで演じられる加賀鳶はしご登りは、日本のはしご登りの元祖とも言えるものです。江戸時代家事現場において消火作業を行うとき重宝するのは「はしご」です。「はしご」を立ててはしごの上から火災の状況、風向き、建物の配置などを確かめ、消火活動の方針を決めたのが始まりです。また、火消し人は高いところで作業を行うため、度胸をつける訓練を兼ねていたとも言われています。江戸時代江戸城下で日ごろ鍛えた身軽なしぐさ、熟練した技、それに威勢と気迫のこもった動きは人々を大いに喜ばしました。江戸においてこの「はしご登り」を最初に行ったのが加賀鳶だといわれます。加賀鳶にはしご登りは金沢の消防団に受け継がれ、1973(昭和48)年には「加賀とびはしご登り保存会」を設立し、現在まで伝統の継承と後継者の育成が行われ、出初め式や百万石祭りでその技が披露されます。
出初め式
出初め式は江戸時代1659(万治2)年4代将軍徳川家綱が幕府の定火消しの士気を高めるため、上野東照宮に一同を集め顔見せ儀式を行ったのが始まりとされます。江戸南町奉行大岡忠相により作られた江戸「いろは48組」でも定火消しに習って「初出」と称して行われるようになりました。金沢では、1871(明治3)年「押出」と呼ばれ出初め式が始まりました。その後1908(明治40)年正式に出初め式と呼ばれるようになり今日まで続いています。開催日は明治以降1月4日でしたが、1931(昭和5)年から1月6日に変更になりました。1998年から日曜日に開催されるようになりました。
加賀鳶木遣くずし
加賀鳶のはしご登りが披露されるときに歌われるのが加賀鳶木遣くずしです。
1ハアーエー 加賀の鳶だよ 百万石の
纏振るにも 火柱こえて 男伊達なら 命をかけて エンヤラヤ
サノ ヨーイサ ヨイヤナ エンヤラヤレコノセ サノセ アレワサ エンヤラエー
2ハアーエー 襟にゃ加賀鳶 出初めの時は
勇み裸に 梯子を立てて 夢の枕や あら吹き流し エンヤラヤ
サノ ヨーイサ ヨイヤナ エンヤラヤレコノセ サノセ アレワサ エンヤラエー
3ハアーエー 加賀の華だよ 知らせの 半鐘
ジャン ジャン ジャン と鳴りゃ 纏を持ちて
梯子・鳶口 気合を揃え エンヤラヤ
サノ ヨーイサ ヨイヤナ エンヤラヤレコノセ サノセ アレワサ エンヤラエー
4ハアーエー 木遣く音頭に 三団揃え
祝い祭りや 百万石の 心あわせて 火事場の守り エンヤラヤ
サノ ヨーイサ ヨイヤナ エンヤラヤレコノセ サノセ アレワサ エンヤラエー
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